どこ吹く風のような随筆で・・・

社会人になって思うこと、初めて一人暮らしをして思うこと、恋人ができて思うこと、大切な人をなくして思うこと、、、一つ一つの体験や経験のそばには思いがある。それは、その出来事を体験中、現在進行形で思うのかもしれないし、のちに振り返って思うものかもしれない。そして、面白いことに、まったく同じ経験、体験であっても人それぞれ思うことは違う。ちょうど一つのキャンパスの上に、ペタペタと様々な色を塗っていくように・・・

           -世界は想いであふれてる。-

 

アクセス数を集めたいなら、ブログで収益を出したいなら、日記ブログはご法度とされている。だって、誰も名も知れないあなたの思いに興味がないから・・

でも、僕は、日記ブログが好きだ。このキャンパスに、この人はこんな色塗るんだって、こんな色が塗れるんだって知ることができるから・・・

 

そしてこれから書くことは、僕が社会人になって過ごしたことを振り返って思うこと。僕が出す色。僕にしか出せない色。

 

僕が、サラリーマンになってからというもの、日々は目まぐるしく過ぎていった。会社の利益を上げる一つの動きとして。利己的に見れば、お金を稼ぐ一つの流れとして。その中で、心地よさも感じたし、不快感も感じてきた。心地よさは、「暇がない≒充実している」と解釈した上での充実感、「大学を卒業して新卒で入社」というある程度レールに乗ったことによる、平均よりは少しばかり多いだろうと思われる給料を稼いでの優越感。不快感は、肉体的疲労、ただの労働力とみなされていると感じてのアイディンティティーの喪失、隣の芝生は青くての自己肯定感の低下、などがある。

 

そうこう思いながらも、僕は働かなければならない。生きるために。社会で生きていくためには、呼吸をするように労働する必要があるのだ。労働せずに社会で生きていく方法も無きにしもあらず。しかし、その方法を選択することは、きっと私の中の何か(プライドとかそういった類のものだろう)を捨てなければならないような気がして、私をひどく恐れさせているのだ。こうして、先述した通り、私には、「生きるためには働かなければならない。」という固定概念が植え付けられているのだ。

 

そんな思想下にある私には、「学生」という立場が、「労働者としての準備段階」と思えて仕方がない。つまりは、学生にとって最も重要なことは、「社会に出てから、少しでも良き労働をするために、蓄えること」だ思うのである。ここでいう良き労働とは、自身にとって心地よさが多く、不快感が少ない労働のことであり、良き労働ができるということは生きやすさが上がることを示している。青春なんてくそくらえだ。人は少しでも生に執着しなければならないので、良き労働を手に入れるために、学生時代から全霊を尽くさなければならない。最高の良き労働を手に入れることは決してたやすいことではないのだ。

 

少なくとも、工業大学や工学部が就職予備校だなんて言う批判は、とんだとんちんかんな批判なのである。

 

 

        

 

 

        えっ、何言っちゃってんの?気持ちわるww 

 

 

 

 

          つーかー恋人ほし~~、フ~~~